食器棚

Cupboard

 

家の建築が一段落したので,食器棚を作ることにしました。

 

これまで松江で使っていた食器棚(幅1200mm,3枚ガラス扉)を予定の場所に置いてみたら,寝室ドアの方へ拳1つ分はみ出してしまいます。図面上はぴったり収まるはずだったのですが,ちょうどここに太いログがあって,計算通りにはいきませんでした。

 

友田さんと相談の結果,「切ってしまいましょう」。食器棚をガラス扉1枚分(幅400mm)切り落とすことにしました。こういう乱暴なことを発想するのが友田さんです。しかし彼の作業は乱暴ではなく,まるで最初から2枚扉であったかのような食器棚となりました。

 

松江から持って来た食器棚。25年間使ったもので,ガラス扉3枚仕様をここへ来て2枚に改造。地震時の転倒防止に上部を鎖で吊っており,ガラス扉の上に見える白いフック状のものは,地震の揺れを感じてカギをかける感震キーです。幸いなことにまだ作動したことはないので,食器が飛び出すような大地震で実際に効果があるかどうかは不明です。

 

 

食器棚の幅が2/3になったので収納力も2/3に。このほか松江の家の納戸に収納してあった食器や,飾り棚の食器もあったので,食器棚が絶対的に不足していました。

 

 

こんなガラスケースの飾り棚もあったのですが,ログハウスには合わないので引越のときに処分してしまいました。

 

 

新しい食器棚はカントリー調がいいなと思っていました。昔,40代のころに買った藤門弘著「カントリー・ファニチュア」(山と渓谷社)[21]に,シェーカー風のカップボードが載っていて,図面と作り方も解説されていました。「いつか作ってやろう」と思って買った本ですが,ついにその「いつか」がやってきたというわけです。

 

シェーカーというのは,北米移民キリスト教団の一宗派で,開拓時代のアメリカで質素・素朴・厳格な戒律のコミュニティを作った人々です。祈りの時に体が震えるのでshakerと呼ばれたらしい。結婚も否定したので子孫が減り,教団は消滅してしまいましたが,素晴らしいカントリー家具を残しました。シェーカー家具と呼ばれています。

 

藤門氏は,アメリカ家具史の2大様式として,シェーカーとウィンザーを挙げています。ウィンザーというのはウィンザー・チェアのことで,厚い座板と細い丸棒の脚・背もたれが特徴の木製椅子です。もともと起源は英国であり,ロンドンから見て西方のウィンザー方面から,テムズ川の水運で運ばれてきた庶民用の質素な椅子のことをそう呼んだのが始まりのようです。ウィンザー公の椅子という意味ではありません。その後,移民と一緒にアメリカに渡り,そこで独自に発展します。

 

日本では,敗戦直後に安曇野の隣にある松本市の家具職人が,伝統的な和家具の技法とウィンザーチェアの技法を融合させた椅子やテーブルを製作し,それが松本民芸家具として定着しました。職人さんの技が光る家具なので,1脚10万円を軽く超えます。

 

話をシェーカー家具に戻しましょう。できあがったカップボードの写真です。

 

本当は下半分には開き扉が付くのですが,われわれの老化が進行してどこに何をしまったかわからなくなることは十分に予想されるので,我が家の収納は基本すべて扉なしのオープンです。また,オリジナルでは天板にシンプルな支輪を回してありましたが,面倒なので省略。塗装は,ワトコのオイル仕上げ・流木色(ドリフトウッド)です。

 

この上半分のディスプレイ部と下半分の収納部の比率や,ディスプレイ部の切欠きデザインが秀逸です。もとのデザインはモザーさんという方であると藤門氏は書いていますが,たぶんThomas Moserのことだと思われます。有名なシェーカー家具作家のようで,HPがあります。藤門氏が紹介しているデザインでは,切欠き部が「C」の字型に巻いているのですが,これも老眼の老人にとっては食器を引っ掛けたりするリスクがあるので,まっすぐ手前に切り取りました。

 

ディスプレイ棚には,地震のときに食器が飛び出さないよう転落防止の桟を付けました。これだけでもあれば,いくつかは救えるかもしれません…

 

 

続けて,制作中の写真を紹介します。

 

棚と側板を組み立てているところ。接着剤とビスで固めます。

 

棚は「大入れ継ぎ」にしました。側板にトリマーで溝を彫って,棚板を差し込むわけです。ただし正面に溝が露出するのは見苦しいので,途中までです。トリマーは回転ドリル刃なので,末端部はこのように丸くなってしまいますが,ここを棚板で隠すようにします。肩付き大入れというそうです。

 

側板の溝に,接着剤をつけた棚板を滑り込ませます。

 

棚を組んだスケルトン状態。ぐらつきはありません。

 

裏板は杉の7mm厚羽目板です。

 

裏板には,こうやってトリマーで相互に切欠きを削り,重ねます。相じゃくり(相欠り)といってます。これがないと,裏板が乾燥で痩せてきたとき隙間が開いて光が透けてしまい,みっともない。

 

側板にも,裏板を呑み込む切欠きを彫ります。

 

これはネタ本。今考えると,こうした文化の普及に山と渓谷社はずいぶん貢献したと思います。

 

 

【追記】 作り終わってから,アマゾンの古書でT. Moserの原著[22]を見つけ、購入しました。このカップボードは厳密に言うとシェーカー家具の様式には入らない,とMoserは述べています。食器をディスプレイして楽しんだり客に見せて自慢したりするのは,控え目で質素な生活を尊ぶシェーカーの教義に反するからだそうです。しかし初期アメリカのカントリー家具には多い様式なので紹介したとのこと。とくに側板のC字型に巻き込んだ切り取りは,ニューイングランド地方にはよく見られたものだそうです。私は使いやすいように切り落としてしまいましたが…

 

Moser(1977)の著書です。カップボードのオリジナル写真が載っていました。側板C字型の切り取りに注目。なお,表紙写真のイスは典型的なシェーカー家具です。ウィンザーチェアと違って座面が布やイグサで編んであるため軽く,壁のペグに掛けておくことができます。シェーカー教徒たちは,不要なときはイスを壁に掛けて部屋を広く多目的に使っていたそうです。そういう簡素にして合理主義がシェーカー家具の美点なのです。