家の売却
Used House Sold

 

丸太小屋建築と並行して,これまで25年間暮らした松江の家の処分を進めなければなりません。松江の家が丸太小屋完成より先に売れた場合は一時的な仮住まいの場所が必要になりますが,東京の実家(30坪)には96歳の父が独り暮らしをしていたので,そこに転がり込むことにしました。しかしそれ以前の問題として,そもそも松江の家は売れるのだろうか?

そこで松江の何軒かの不動産屋に家の売却額の見積もりを頼みました。「築25年だし地すべり危険地域だから売れませんね」という冷淡な業者もあったが,「外壁は再塗装が必要だが,内部がきれいなので良い値で売れますよ」と言ってくれるところがあり,そこに頼むことにしました。

 

25年間家族を守ってくれた松江の家です。コンクリートパネル構造の強固な家でした。宍道湖に面した丘の上の団地だったので,冬の北風が強烈。そのため雨戸を付けました。

 

 

不動産仲介には,一般媒介契約と専任媒介契約があります。広く複数の不動産屋に仲介を依頼するのが一般媒介契約,一軒の不動産屋だけと仲介の独占契約をするのが専任媒介契約。専任媒介契約の場合は他の不動産屋で家を売ることができません。

ちょっと考えると,情報が広く行き渡る一般契約の方が早く売れそうな気がします。しかし不動産屋の側からみると,せっかく買い手を見つけても,ほかの業者に横取りされるかもしれないわけですね。不動産屋の手数料は売買金額の3%が上限だから,その範囲内で値引されて買い手を取られかねない。だから値引競争になる可能性もある。自分のところで売買契約が成立しなければ,その不動産屋には一銭も入りません。したがって不動産屋にとってはリスクの大きい物件ということになり,熱心には営業活動しません。

黙っていても不動産に買い手のついたバブル期とは違います。今は,一般媒介契約では家は売れないと思います。

専任契約は,一社だけの独占契約なので,その不動産屋が営業活動をやってくれます。良い物件ならかなり積極的に動きます。これは売り手にとっては重要です。なにしろこちらは不動産のシロウト。高く売りたいと思っても,いくらなら売れるのか全然わかりません。

一方,不動産屋も仲介手数料を多く取るためにはなるべく高く売りたい。高く売りたいという点で,売主と仲介不動産屋の利害は一致するわけです。高くしすぎると買い手がつかない。相場があるわけですが,不動産屋はその情報を持っています。

そういうわけで,専任媒介契約で松江の不動産屋のHPに情報が出たとたん,1週間で10人くらいの家探しをしている人が内覧に来ました。不動産屋が連れてくるのです。内部がきれいで立地条件が良く,手頃な売価設定だったためか,結果的には,2週間で買主さんが決まった。

女房は,住み慣れた家が人手に渡るのが悲しくて,内覧のときは口実を作って外出していました。内装がきれいですぐに買い手がついたのは,25年間女房が掃除を怠らなかったおかげです。感謝。

といっても,売却金額は新築時の1/3です。今や家はクルマと同じ消耗品の時代なんですね。買ったときより安くしか売れない。

家を建てたのは1992年,バブル崩壊のときです。でもまだ松江の地価は下がっていなかった。あのころは地価が下がるなんて誰も考えなかったのですよ。日本には,「地価は下がらない」という土地神話があったのです。東京周辺では地価は下がりはじめていたが,バブル崩壊後の一時的な下落だろうと誰もが思っていた。結果的に我が家は,土地が一番高いときに建てて,一番下がった底値のときに売ったことになります。大損です。

 

遠景は宍道湖と嫁ヶ島です。

 

リビング+ダイニング+キッチンが一部屋の居住空間。キッチンから子供たちに目が届くよう対面式です。平日の昼間は,かみさんのお友達の溜まり場だったようです。内装は,床が合板フローリング,壁・天井が石膏ボード+壁紙。現代のごく一般的な内装仕様ですが,これが呆れるほど安価であることは,全て無垢材の丸太小屋を建ててみて初めて知りました。

 

 

家の躯体そのものは高密度のコンクリートパネル構造なので,まったく痛んでおらず,パネルを接合するボルトはまだ光っていました。パネルの隙間に充填してあるシリコンも剥がれておらず,25年目でも十分に弾力がありました。標準仕様ですが,良い材料を使っているようです。

 

建築中の松江の我が家(1992年)。プレキャストのコンクリートパネルをボルト留めで継ぎ合わせていく壁構造の家です。柱は1本もありません。真夏炎天下の過酷な工事でした。

 

 

こうして家が売れて東京への引っ越し日程も決り,あとは家財の整理です。25年間開けたことのなかったダンボール箱やストッカーは,中を見ずにそのまま捨てた。若いころに買ってその後納戸に眠っていた安物の食器棚やタンス類は,松江エコセンターの持ち込みゴミとして廃棄。エコセンターには15回以上は通ったが,松江市の持ち込みゴミは100kgまで410円と格安なのはありがたかった。

40年間の研究生活で溜まった膨大な学術雑誌は古紙処分。雑誌類だけで300万円分くらいはあったと思うが(全部私費で購入したもの),すべて古紙へ。これで私の蔵書の半分は消えました。「本は捨てない」が信条だったのですが,そんなこと言ってられません。女房が自分の退職金で37年前に60万円で買ったカワイピアノも処分。業者が型番を間違って高い値段で引き取っていったのは,ちょっとラッキーでした。

家財の2/3は捨てたと思います。徹底的にスリム化して,身が軽くなったようなような気がしますね。それでも,残っている家具と書籍が東京の実家に収まりきるか心配だったので,家具の寸法を測り,コンピュータで実家の図面上に落として収納のシミュレーションをしました。

 

実家の部屋に積み上げた引越荷物。この状態で1年間暮らしました。

 

 

結果的に4トントラック1台に収まりましたが,東京の実家の方は道が狭く,運送屋は近くの広い路上で2トントラックに積み替え,ピストン輸送してました。引越日の午前中に松江を搬出して,翌日の午後には東京実家に搬入です。業者はトラックと運転手を使い回しているから,後のスケジュールが詰まっていて,「搬入を翌々日にしてくれ」というわけにはいきません。われわれは,松江の家の最後の掃除を終えてから,自家用車で東京へ向かう。どこか途中でトラックを追い越すことになります。